解決も放置もできないことだから
2025/12/01小さないのちの「つどい」では
いつも、ほんとその通りだ
と深く頷ける言葉が聞ける。
語られた言葉を口外できないため
私にどう伝わったか、を書きたい。
子どもを亡くし、抱えきれないほどの
つらさを携えながら親は暮らす。
そんななか
別の困難が舞い込んでくることがある。
例えば仕事面で。
そうすると、ともかく、
目の前の困難と向き合わねばならない。
ヘトヘトになる。
そうして困難が解決あるいは収束したとき
あれ?と思う。
あの子のこと、苦しむ余裕がなかった…
しばらく脇に置いていたわけだ。
通常あり得ない。
通常、頭の中心にあって、ずっとつらい。
そうして思い至るのが
「休憩をくれたんだ」
ちょっと別のことも考えたらどうか?と。
「ものは考えよう」
という言葉があるが
遺族もそういう生きかたの知恵を蓄える。
つらさに、つらさを足すと
「不幸」になる。
つらさに、休憩を足すと
少し抱えやすいつらさになる。
このつらさ、簡単に軽くなったりしない。
でも抱えやすくなると
生きやすくはなる。
長く携えていくことだから。
なぜなら、
生活上の困難は
たいてい解決する。
解決できなくても放置できる。
でも、子どもの死は
解決できないし、放置などできない。
だから、ずっと携えていくための
知恵が必要。