「独りではない」と確信できたなら
2025/12/16お坊さんに貰った法語カレンダー
1月と2月のお言葉はスルーし
3月に目が止まった。
一人の人生であっても
決して 独りではなかった
この一文から、まず浮かんだのは
キリスト教の「あしあと」という詩。
一人の信者が夢を見て
これまでの人生の色んな場面が出てきた。
その時々に2人分の足跡が残っているのは
イエスさまが一緒に歩いてくれていた証。
ところが、もっとも苦しかった時
足跡は1人分しかなかった!
「主よ、なぜ苦しんでいる私を
見捨てたのですか」と尋ねた。
そしたら、「そのとき私は、
お前をおぶっていたのだよ。」
と返ってきたという話。(曖昧な記憶ですが)
信仰心の乏しい私が、このお話だけは
大好きで、神様をちょっと慕っている。
で、3月の法語から改めて思った。
「独りではない」と思えるのが、
神様とともに、であること以上に
亡くなったわが子と、と思えたら、
どんなに心強いことか。
しかも、「独りではない」の前に
決して、が付く。
確信をもってそう思えたら
どんなに。