天才だから聞いてみたいと思った誤り

2025/12/27

全盲のピアニスト辻井伸行さんに

「もし目が見えたら何が見たいですか」

と新聞記者が質問したこと、の続き。

 

その記事に憤慨した石原慎太郎氏の真意

理解できた気がする。

 

生まれた時から目が見えない人にする質問か!

と石原氏は憤った。

私は、世界的ピアニストの辻󠄀井さんなら

なんて答えるか知りたいと思った。

 

石原氏にとっては

類まれな才能の持ち主であるとか

天才と言わる人だから

といった前提なしに

目で見たことのない、今後も見えることのない

すべての人を念頭に置いているのだろう。

 

その人たちに向けて言わないことは

誰にも(天才にも)言わないほうがいい

言うべきことでない、と

私も思えてきた。

 

そしたら、あれは?

 

亡くなった子のこと

触れないようにしたり

話題を変えるような配慮?が

社会にはある。

 

このことを、配慮と感じている遺族より

淋しく思ったり

話したいのに、と言っている遺族のほうが

人数てきには多いのを感じる。

 

両者に違いはあるのだろうか?

何が違うんだろう。

もうちょっと考えてみよう。