その場限りだから打ち明けてくれたのだろう

2026/03/11

きょう3月11日は、

東日本大震災が起きて15年。

 

震災から半年くらい経った頃

私は宮城県で暮らす知人を訪ねた。

まだ線路が復旧していないところもあり

臨時バスで辿り着いた。

 

知人は元気だった。

そのとき、お子さんを津波にさらわれた

お母さんと出会い、多くのお話を聴いた。

 

先日は日記に

亡くなった子どもを、

いないもの、として人に話すことの拒絶感

について書いたが

津波にさらわれた親御さんの

さらに痛切な拒絶感があった。

 

これくらい経つと

「亡くなっているかもしれない」

という思いが持ち上がり

と同時に、

そう思う自分が冷たいような葛藤に襲われ

「待つしかない」「祈るしかない」

というところに身を置き直す。

 

それまで私は

つらくても、このままでいることを

親は望むのかも知れない

と思っていた。

死が明らかになり突き付けられるより。

 

そんなことはないことを、後に知る。

遺骨が見つかるなどして

亡くなったことがはっきりしたら

供養してあげたい思いが

強くある。

 

そうなんだ…

「してあげられること」ができ

「してあげるべきこと」がはっきりする。

つらくても。

 

特に子どもの親は

どこかで生きていれば…

という期待には不安が付きまとう。

 

どこで、どうしているのか?

淋しい思いをしていないだろうか?

私を探しつづけているだろうか?

 

そんなことばかり頭を巡り

生きていれば勿論のこと

亡くなっていても

親の元に早く返してほしい

という思いが募ること、理解できる。

 

あの人のお子さんは

発見されただろうか…

気になっても

連絡先はわからない。

 

その場限りの相手だから

思いのままに、赤裸々に語られた気がする。

 

だから、連絡先を交換しましょう、は

相手から言われたら、できたが

私の方からは言わなかった。