法は犯してなくても罪を背負っていく人
2026/06/20母親の体内で生きている子どもは
法的にも人間と認められればいいのに
と昨日は書いた。
ところが、このことが法的に認められると
困ることがある。
妊娠を中断する場合の胎児。
私はグリーフケアの、当事者の立場を
いつも考えるようにしている。
昨日書いた視点は
奥さんを事故で失ったうえに
お腹にいた子どもの健康まで失った
夫で父親である人と、
生まれてくる我が子を抱くことの出来なかった
母親に、思いを馳せたつもりだった。
きょうは、妊娠を中断せざるを得ない
女性の思いを考えると、
胎児は人間だと周知されれば
中絶の罪悪感は、さらに大きなものになる。
私は、つらくない人とは出会わないので
つらくてたまらない人が
少しでも生きやすくなることを願う。
でも、女性にとってはなかなか難しい。
法を犯してはいないけれど
自分で罪を背負っている。
それは優しさだから、あっていい気もする。
胎児との別れは
悲しまなくてもいける人は
それでいいと思う。振り返らなくて。
悲しい人は、悲しんでいいと思う。
何度も振り返って、いつか前を向ければ。
ただ、今までよりも生きづらくなるような
負荷は、かからないことを願っている。
とても難しい胎児の命。
見る視点によって
すでに人間のはずだ!と思ったり。
まだ人間ではないから、と思ったり。