花を見ても なにを見ても
2004/04/29 「つどい」会場へはももちゃんのおかあさんと一緒に行きました。
テーブルに飾るお花を買うために、途中でお花屋さんに寄って、
店先でこんな会話を。
『私ね、お花を買うときいつも思うの。
このバケツに入ってる花は、どれも同じようにみずみずしいよね。
たぶん同じ日に出荷されてると思う。
それなのに、買って帰ったら一本だけあっけなくしおれることってない?』
『あるある!
そういうときって、、』
『そういうときって、あの子の命と重ねてしまうよね。
きのうまでみんなと同じように元気だったのに
まだ生まれてほんの少しなのに、って』
ももちゃんのママは、大きくうなづいてくれました。
あーみんな同じもの見て同じように感じて暮らしてきたんだぁ
と確認ができたときが、すこし安らぐ瞬間です。
元気なお花だったとしても、
涙はこぼれ落ちるのでした。
チューリップは花瓶に挿してからもぐんぐん背が伸びるということを、
私はそれまで知りませんでした。
生きてるってどこまでを言うんだろう
命ってどこまでをそう呼ぶんだろう
もう根っこがないのに、このちから
当時は、何を見てもあの子の”はかない命”と結びつけてしまったものです。
コンロの前でも、よく立ったまま泣きました。
弱火にしようとして、
うっかり火を消してしまったとき、命のともしびが消えたようで…
すぐ強くしたらともったときも
最初からうまくとろ火にできたときでさえ
やはり涙はポロポロと。
強運に恵まれる子、強い生命力をもつ子はたくさんいるのに、と。