あちら側 と こちら側
2004/09/11あれは何だろうと思って、私は遠くの空にたなびく黒煙の帯を目で追っていました。次の瞬間、思わず立ち上がってうわっー!と叫びそうに。このとき自分が電車の中に座っていることに気づき、声を飲み込みました。民家の屋根が大きな口を開けてごうごうと炎を吹き出しているのです。 ぁぁぁー もう声にならない息がもれ出ました。電車がそこを通り過ぎるのはあっという間のことでした。
締め切った車内にはサイレンの音も聞こえてきませんでした。住人が泣き叫んでいたとしても聞こえてくるわけがありません。この車両で遠くの火災に気づいた乗客は私一人だったようです。 車窓を挟んであちら側とこちら側は、異次元の世界のように思えました。間違いなく同じ時間に同じ地域のなかで動いていることなのに。
このとき私は、あの時は逆だったと思いました。私があちら側でみんなこちら側。
意識を失いけいれんし続けるあゆみと私を乗せた救急車。受け入れてくれる病院が見つからず、路上で止まったままの救急車の中で何が起こってるのか、誰も気づいていませんでした。
誰が悪いのでもないと考えても、”気づいてない”そのことが憎く思えたりしたのです。
いま快適な車内に座わり、通り過ぎるだけの自分が罪に思えました。
また一つ思い出しました。
人は知らない人が乗っている救急車には無関心なのかと考えると、そうではないのです。サイレンを鳴らして走っていたらまるで待遇が違うのでした。
あゆみの死後しばらくの間は、救急車のサイレンが耳に入ると動悸が起こるように心がおびえましたが、何度も経験するうちにそういうことはなくなっていました。なのにあのときは、涙が噴出し、嗚咽を上げて車の中で泣きました。
私は長い下り坂の上のほうにいました。
前方の車が流れるように一斉に両端に寄せていく美しく見事な光景を目にしました。すべての車がピタリと止まり、待ちます。救急車はサイレンとともに広く取られた道を滑り降りるように通り過ぎました。私はあふれる涙で前がかすんでいましたが、赤いランプがずっと遠くまで速度を緩めることなく消えて行くのが見えていました。
どういう涙なんだろうと思いました。
やっぱり悔しいのです。止まってるのと走ってるので、救急車はこうも違うのかと。
でも、よかった… と思いました。そう思わないと、と思いました。
大阪の車はマナー知らずと言われますが、そんなことあらへん ちゃんと分かってるやん 大阪の人間もやるときはやるんや そう独りごとを言い飛ばして、涙を拭きました。