2つ引っかかった1つ目「不幸について」

2009/07/10

また「引っかかった」話だけど、
他人の言葉に、引っかかってばかりいるようじゃあ、
私のほうに、問題ありかな、と思い、
内省してみたところ、あることに気づく。

近頃の私が、相手の言葉に引っかかってしまうのは、
その人が、職業上、
困っている人や、弱っている人に、かかわる立場の人なのだ。
人は、「職業」に信頼を置き、安心して近づいたり、
素直な気持ちで、打ち明けることが、ある。
なので私は、引っかかる、というよりも、
そうした職業(前回は、教師)に期待を高くもっている、ということだ。

そう納得し、話を進めると、
今回の相手は、ソーシャルワーカー。ある会合で会った。
いろんな自助グループの、活動支援をしてきたとのこと。
私は、専門職と自助グループの運営を、円満に持続することは、
嫁姑関係ほど、簡単でないように思っている。
簡単ではないのだけれど、これが上手くいった場合、
肉親以上の頼りにも、なる。

私はこの会合で、自助グループの運営の困難について、いろいろ語った。
その人は、共感してくれたからか、帰り道、優しく声をかけてくれた。
「お子さんが亡くなるなんて、人生最大の不幸を、乗り越えて
がんばってきたんですね」

この短い言葉に、2つも引っかかってしまった・・・。
私は、少しちゅうちょしたものの、
この方には、子どもの遺族でなくても、悲しい思い、辛い思いのさなかにいる人が
これからも出会うことを思い、おもむろに、きりだした。

「これは私の考えなのですが、聞いてもらえますか」
と言うと、ちょっと空気が固まったが、続けた。
「子どもが亡くなると、本当につらい思いをするんですが、
それを、不幸と表現するか、どうかは、
本人の言葉を待ったほうがいいと思います。
私なら、娘が人から、親を不幸にしたと思われてしまうことが、かなしいので」

沈黙が長く感じられたので、つい「すみません」と言ってしまった。
「いえ、聞けてよかったです」と言ってもらった。
相手が、対人援助職でない限り、私は、言わないと思う。

幸せを、規定できないように、
不幸もまた、規定できない。
これほど辛く苦しいことはない。と思うようなことが起きていても、
それを、不幸という言葉で表現していない当事者は、
きっといろんな分野で、大勢いると思う。いろんな考えから。