わからない言葉

2012/06/04

午前中、病院内で行われる遺族会の進行役をし
正午、ご遺族と昼食をご一緒してからインタビューをし、
午後、お子さまを亡くされたばかりのご遺族のお宅を訪問して
夜遅く戻って来た。

さすがに疲れた。それは体が。
ものすごく集中してお話しを聞いたし、
朝、早起きだったし、
移動距離が大きかったから。

けれど、気持ちは何とも温かく、充実しており、
いつもながら、かなしい話は愛に満ちていると実感。
人って素晴らしいと、思うばかり。

どうしても私にはわからない言葉があって
「かなしい話をたくさん聞くとしんどくなる」
とよく聞くが、
どうも私には、そのスイッチがないらしい。

悲しい話を聞くと、どうしんどくなるのだろう・・?
いろんな人に尋ねたことがある。

ある人は、自分の体験と重ねてしまうから、と言った。
私には、それが分らない。
自分の悲しみと、重なり合うことはないように思う。

ある人は、悲しみに引き戻されるから、と言った。
それも分らない。
人の言葉で引き戻される、はない。

相手の悲しみは、その人の「大切な」ものであって、
いくら共感しようと、私のものにはならない。
しようにも、できるはずがない。

またある人は、自分の無力を突きつけられるから、と言った。
それも分らない。
そもそも私は、相手を楽にさせようなどと、思ったことがない。
そんな簡単なもんじゃないのだから
自分が楽にできるなど、思いもしないし、
急いで楽にならなければならない、筋合いのものでもないだろう。

自分が何をしよう 
という考えは持たずに
ゆっくり話が聴きたい という思いだけで
いいのではないだろうか。

明日はわが家にご遺族来訪。