誰かの役に立つこと
2012/08/24 面倒な日課に、ダンナの肩もみがある。
私は私で忙しいし、見て見ぬ振りしてきたものの、
「五十肩」というの、あまりに辛そうなので、
最近は、だいたい毎日揉んであげている。
話は変わり、きょうの夕食はたこ焼きだった。
関西人は、定期的に家でたこ焼きをする。
と、ダンナが、ウ―ッ!と声を上げてうずくまった。
何があったのかと思ったら、肩にこたえたらしい。
きょうは、たこ焼きをひっくり返すことすらできない模様。
そんなにひどいの?と尋ねると
「軽トラを押したから」と。
軽トラ??
仕事の出先で、
80才過ぎとおぼしきご老人が、タイヤを溝に落とし、
途方に暮れているところに遭遇したと言う。
五十肩のダンナ、一旦は見なかったことにしたらしい。
けれど、かなりへんぴなところで、
自分が通り過ぎたら、いつ人が通りかかるか分からない。
「だいじょうぶですか」と声をかけてしまった。
おじいさん、にんまり。
押しても、引いても、動かず
石拾いを始め、溝に石を積み、押し上げたところ
ようやく車は脱出したものの、
ダンナの肩は、終ってしまった・・・
こういう話を聞くと、いつも蘇るのは
「誰も助けてくれなかった」
なのだ。
あゆみが倒れたとき、
救急車の受け入れ先がなく、いい加減な診察も加わり
手遅れになって、あの子は力尽きた。
ダンナも同じなんじゃないだろうか。
ひとり困っている人を見たら、居ても立っても居られず
後先など考えず
全力を尽くしてしまう。
そうすることで、自分のほうが立ちゆかなくなってしまうのだけれど、
後悔などしない。
役に立てて良かったと思う。
手を貸さなければ、悔いを残し、悔やみ続けてしまう。
そんな思考が私たち夫婦にはあり
私は私で、ダンナはダンナで、
自分を必要とされる場面では、
無心に尽してしまう・・
相手のため、なんて恩着せがましい考えはなく
ただ自分の心の傷を、修復しているようなもの。
きょうは、いつもより優しく揉みほぐしながら、思った。
痛くても我慢しよう!
肩が痛いのより、胸が痛いほうが、
ずーっと辛いものね。