人間は植物じゃないし
2013/10/16 母のことばかり書いてしまったので
子どもを亡くした親の話を。
先日、ある講演会場で、何とも言えない気分になった。
「ここまででご質問がございましたら」とお尋ねしたところ
お一人手が挙がり、お聞きすると
非常に長いお話しの結末は、質問ではなく、助言(指摘)だった。
私の話には、断言があまりない。
自分の体験以外の箇所では、しないよう心がけている。
なぜなら、グリーフ(悲嘆)の特徴は、「個人差」が大きいことだからだ。
そして、人さまの悲痛な思いについて
「こうです」と言うようなこと、したくないからだ。
挙手された方は、僧侶だとおっしゃる。
幼い子を亡くした親には、こう言えば良いそうだ。
「木の苗を植えなさい。
その木を、わが子の成長と思って育てなさい。
お乳をやると思って、水をやりなさい」
どんな話も、当事者の思いにマッチしていれば、素晴らしい。
けれど、マッチしない場合もあるわけで
そこのところを考慮無く、「こう言えば良い」なんて・・・
とてもじゃないけど、教えてくださったそのお話し
尋ねられもしないのに、私から言うことは、ない。
ふざけるな!
と言われたら、はっきりするのだろう。しかし
たいていの人は、遠慮も良識もある。
「そうですね」
といった言葉で返される、そのとき
どんな気持ちをこらえたり、耐えたりするだろう。
僧侶ともなれば、
「ありがとうございます」という言葉で返ってくるのかもしれない。
それを真に受けて、
こうすれば苦しみから解き放たれる と言い切ったりするようになり
人をどん底から救った気になっていくようだ。
昨日も、今日も、そばに行ってあげたい思いに駆られ
どうにか抑えて1日1日を耐え忍ぶ親たちの
「ほんとうの姿」を知らないと思った。
ちなみに
そういう、言い切りの「術」を力説する人が現れたとき
会場は、「はあー、なるほど」とうなずき、
納得を得るのです。
はあー