恩人
2014/08/24懐かしい人に会いに行ってきた。
20年以上前でも、「ママ友」という言葉はあった。
「公園デビュー」という言葉も。
もともとは、ダイキに友達を作るために
公園にくりだし、出会った。
家の近所には小さな子どもがいなかったため
毎日公園へ行った。
公園での居心地や、居場所は、
親の努力や忍耐によるものであったが
あとで思うと、平穏な暮らしだった。
そんな中、あゆみが生まれ、そして亡くなり
いろいろ考えて
引っ越すという選択をしたのだけれど
引っ越しは、失うものも大きかった。
一番大きかったのは
ママ友の「ひとり」だった。
もっとも深く悲しみ
生きる方向さえ見えにくくなっていた頃
一番の理解者だったと思う。
できることを、できる限りしてくれた。
いろんな話や、思いを、黙ってじっと聴いてくれた。
そんな人なのに、
そんな人だから、なのかもしれない。
「あのときは、なにもできなくて
してあげられることが、なんにもなくて…
いなくなってから、もっとできることがあったように思えて」
そう言われ
他人までそのようにつらくさせていたのだと
改めて実感した。
実際は、ほんとうによくしてもらい
元気になってからも、忘れることがなかったし、
これからも、薄れることさえないと思う。