善意の言葉はてごわい
2017/12/26 小さな子どもを亡くした親も、大きな子どもを亡くした親も
いずれも、ほぼ共通して
「自分の親が亡くなったとき、あまり悲しめなかった…」
と言っているように思う。
先日、そのことを、子どもを亡くした母親が言ったので
そうだなあ、と思って聞いていた。すると
その場にいた(子どもを亡くしていない)人が言った。
「亡くなった〇〇ちゃんが、そうしてくれたんですね」
意味がわかりにくい、というか、おかしいと思った。
母が、祖母の死を悲しまなくてもいいように
〇〇ちゃんは、もっと悲しい死を先に経験させてくれた
みたいな意味にとれてしまう。
うっかり口から出てしまう言葉、というものは、ある。
その場合、一言で止めることだと思う。
この話は、まだ続いたから、おかしいと感じた。
お母さんは、一瞬、返事に困った様子で
「あ、ええ」とだけ返した。
これを同意と受け取ったようで
「〇〇ちゃんも、安心していると思います」
まで言っちゃった。
きっと〇〇ちゃんは〜〜〜〜だと思う
という言い回し、
遺族に響くときと、そうではないときがある。
コレ、遺族に、いつまでも悲しまないでいてほしい
という一方的な思いに乗せて、発せられることも多い。
こうした「言う側の安心」のための言葉に
「あ、ええ」
と受け身にとどまる遺族の姿、よく目にする。
善意とは、てごわい。