加害者と言われても憎めない理由
2019/07/22前回書いた、役所の窓口の人から
きびしい言葉と、同情の言葉をもらって、思った。
加害者が医療費を全額払っていたら、私の3割負担はなかった。
ぶつかられなければ、通院やリハビリの時間、そして痛い痛い思いもなかった。
ほんと損だらけだ。
ところが、私がそれほどあの人を憎んでいない理由は、
すぐに、素直に、謝ったから、ということは以前も書いたが、
実は、もう1つ理由がある。
あの人は、あとあと私がこんな目にあっていることを知らない。
私のほうから「もう大丈夫」と言ったために。
逆の立場で考えたら、とは、あゆみが亡くなったときのこと。
何で私の子だけがこんな病気に?
何で何も悪いことをしていない子が、何でだ?と思った。
理由がどこにも見つからない。
そしたら、結びつけるのは、私がもっている原因。
自分はどんな生き方をしてきただろう?
気づかない中での人に対する傷つけ方のようなものが
積もり積もって、この結果を招いたのだろうか?
と本気で考えた。
となると、知らずに積もらせる罪ほど、怖いものはない。
以後、自分が迷惑をかけた場合には、知りたいし
ちゃんと謝りたい、どうにか償いたい、と考えるようになった。
そういうことから
私が人にけがをさせたのでなくて、良かった、という思いがあり
さらに、相手が謝ったり償ったりする機会を
相手から私が奪った、という思いもある。
もうこれからは、もうこれ以上
人を傷つけることだけは、しないように、と強く誓った
あの頃の思いが去来したのだった。