悪いのは私だけど、なんだか

2019/07/28

講演先のことで、思い出した。

以前、JRが毎度の安全点検のために大幅に遅れ

乗り継ぎがうまくいかなくなって

私は会場に遅れて入っていくこととなった。

自分の順番には間に合ったが、前の出番の先生が話しておられた。

 

身を縮め、そーっと足音がしないように入っていったが

先生(←面識はない。私を受講者と思ったご様子)が、お話を途中で止め、

私、申し訳ない気持ちで一杯だった。

でも申し訳ない気持ちは、一気に、別の気持ちになった。

ショックで、何と言われたか正確には覚えていないが

 

おはようございます。

大丈夫ですか?

皆さんが席に着くのを待ってくれています

 

このときも、少数者、笑った。

確かに、悪いのは遅れた私なのだが。

 

ずいぶん経って、別の会場で、その先生をお見かけしたとき

まず浮かんだのは、恥ずかしい記憶

そして、「ケアを受ける」と正反対の感覚

 

なんで、「ケア」の先生なんだろう。

ほかの先生だったら、別に何ともなかったかもしれない。

私だったら、話は止めない気がする。
話を止めたとして、人の落ち度に触れない気がする。

 

で先日、小さないのちの「つどい」のとき、どきっとした。

(つづく)