美味しいものを食べるように笑う
2020/01/26落語を聴きに行くようになったきっかけは、
当会のご遺族の一人が行くようになったからで、
その人にはなかなか誘ってもらえず、別ルートから。
と先日書いたが、理由はもう1つある。
あゆみが亡くなった当時に、行っていた遺族会で ←今はない
年に1回、落語を鑑賞する行事があった。
私は、日が合わず、行けなかったが、
行かなかった人の中に、「ありえない」と考える人たちがいた。
私が、日が合えば行っていたであろう理由は、まず、
何で落語なんだろう?だ。第2には
たくさん申し込んでいるようだったので
行ったら笑ってるのかな?人も、この私も。
一方で、日が合わないことに安堵する自分も感じた。
20年を経て出た結果は、
私は、行ったら、必ず笑っている。でも、
遺族会なのに、なぜ落語だったのだろう?
この問いについての明確な答えは、まだ得られていない。
面白い話を、面白いと感じて、思わず笑うことは
美味しいものを食べて、美味しいと感じ、顔がほころぶことと
あまり違わない気がする。
ただし、美味しいものどころか、食べること自体に
罪を感じている状況の人には、意味を成さないだろう。
薬ではなく、毒かもしれない。
でも、どんなに日の浅いご遺族でも、必ずのように
つどいで、笑われる姿を目にする。
それは、亡くなったお子さんのことが語られるとき。
必ず面白いことを、言ったり、したり、しているから。
子どもだから。