もっと優しくできればよかった

2020/02/17

昨日書いたことは、

私にとって大きな出来事だったので、もう少しだけ加筆。

 

命に危険が及ぶような大失態をしでかしてしまったのに

文句も嫌みも言われなかった驚きと、申し訳なさから

自分も、人の失敗に対し、もっと寛容であろうとか

済んだことや、言っても仕方ないことに対し、

言い方を考えるようにしよう、と深く学んだのだけれど、

もう散々やってしまった後なんだよ、と

そのとき、つくづく思った。

 

もっと以前にこのことを学びとり、心がけていたら

果たして、どうだったんだろう?

 

認知症になった母に。

 

言っても仕方ないこと、とわかっていたし、

叱るような言い方は良くない、という情報も持っていた。

でも、持続は、ものすごくむずかしかった。

 

「昨日も言ったよね」「さっきも言った」「毎日おんなじこと言ってる」

って、わざわざ言う必要あっただろうか?

ない。

 

「なんで」「なんでなん」と、

答えが返ってこない、答えようがないと、とわかっていながら

問い詰めてしまう。

止まらなくなってしまう。

 

そういうこと、言わないようにしよう、とすると

表情が、もう、とんでもなく酷くなり

そばで戸惑う視線を感じながら、視界に入れないようにし、

無言で、どんどん、どんどん、進めていく。

言うのもひどいが、無視のほうが、もっとひどいかもしれない。

 

じゃあ、当時、

どんなことにも動じない、器の大きい彼女と出会っていたら、

私の取る行動は、違っていただろうか・・・

 

同じ経験は2度できないので、明確な答えは出せないが

たぶん、違わなかったような気がする。

 

心がけて行動が変わるのは、2日、3日のことだろう。

家族、特に肉親に対しする持続は、とてもむずかしく、

人間の本質を変えるって、本当にむずかしい。

 

だから。

できない自分を感じながら、

人への接し方、考えようと思う。