ジグソーパズルのパーツと私たち

2020/04/09

たまたま、途中から見たEテレで、いい番組をしていた。

難聴の高校生たちに、授業をしている白衣の青年は

自身も難聴の耳鼻科医だった。

言葉の一つひとつが、すーっと心に溶け込んでいった。

 

番組のさいごに、生徒たちにプレゼントがあった。

一人ずつに、ジグソーパズルを1ピースずつ。

 

ジグソーパズルには、凹凸がある。

へこんでいる凹のところが、彼らにとって難聴であること。

でも、必ずそれぞれ優れているところがあり、それが凸の部分。

その凸凹を使って、人と繋がることができる。

なるほど、本当にそうだ、と思った。

 

きっと、別の立場でも同様で、

人はみんな、凹の部分と、凸の部分をもっているだろう。

 

遺族にとっての凹は、死別による喪失のように思える。

また、どの遺族も、喪失後も保有している優れた点がある。

 

けれども、私も含め、私が出会うご遺族の多くが

ただ平坦であることを望んでいる気がする。

優れたり秀でたりしている凸は、なくてもいいから

ふつうに、ずっと続くと思っていた日常がほしい。

 

ジグソーパズルでいうと、

外周を成しているパーツの、凹凸のない辺のところ。

 

数が限られ、めったに当たらないけど。