亡くなってからもわが子と濃く生きる
2020/10/06一昨日書いた日記に、
「そんなところまで行けるでしょうか」
とメールいただいた。
悲しみさえ抱きしめて生きたくなっていく
のところ。
行けるし、なっていくと思う。
実際、多くの親が、
以前のように悲しめないことを淋しく思うときがある、とか
普通のことを普通にできるようになると、冷たく感じたりする、とか
まったく意識から離れていたことに愕然とする日がある、とか
言うようになり、
苦闘からのそうした変化を
淋しい、冷たく感じる、愕然とする
と思ってしまうほど、愛情深い親たちなのだ。
子どもを育てる最初のうちは
慣れてないし、言葉通じないし、寝れないし、すごく大変だけど、
過ぎてみると、
あの大変だった時期、もっと大事に過ごせばよかったなあ
と思った経験、ないだろうか?
子どもは、亡くなったときも同じに思える。
つらくて、会いたくて、淋しくて、
身の置き所もないほどに苦しんで、
その境地を過ぎてみると(つまり、底まで行き着くと)
あの大変だった時期が、
亡くなったわが子ともっとも濃く生きたときだった
と思えるにちがいない。
生きている間も、亡くなってからも
わが子とのかかわりは、端から端まで大事に思える。