そのとき本当に親になれた というお話

2020/11/30

ある緩和ケア医が、

子どもが亡くなりゆくとき、親「だけ」が言う言葉がある

という話をよくしている。

それは、「代われるものなら代わってやりたい」。

 

まったく、そう。

子どもが亡くなるとなれば、(ほぼ)すべての親が

そう思うだろうし、それができないことに苦しむ。

だけど、子ども以外にも、思うんじゃないかなあ。

いとしい妻や夫にも。

まあ、あんまり聞かないし

めったにいないような気もするけど。

 

先日、お子さんを亡くされたお父さんが

このことを話されて、直に聴くと、より響いた。

「代わってやりたかった」と。

 

そして、そのお父さん、もう一言おっしゃった。

「心からそう思った時、自分が本当に親になれたと思った。」

 

あーーー いいな。

本物の父になれたとき

わが子は余命いくばくもなく、

限られた時間しか残されていなかったのだけれど

普通に暮らす生活とは比較にならない、濃い、深いときを

父と子で過ごすことができて、

素晴らしかっただろう。

だからといって

別れのつらさが和らぐことはないけれど。