相手の悲しみが自分の悲しみの場合

2021/03/02

お子さん亡くされたお母さんから聞いたお話で、

大きなゾウがいるのに、見えていないように

悲しみ(亡くなった人のこと)に触れない人

のことが、きょうはずっと頭にあった。

 

夜、ダイキが、

幼稚園では、年少組の先生と年長組の先生が

すごく思い出にある、と言ったので

年中組の先生のことを「あのね」と話した。

 

年中組のときに、あゆみは亡くなった。

担任の先生はお葬式にも来てくれたが、

その後、あゆみのことには一切触れなかった。

私は、そのことを何とも思っていなかったけれど

だいぶん経って、深夜に電話がかかってきた。

 

その夜に放送された報道番組で、取材を受けた私は、

あゆみが、突然どのように亡くなったのか話した。

もうダイキは卒園していたのに、番組を見た先生は、

電話をくれて、とても泣いておられた。

 

「ごめんなさい。ごめんなさい」と謝られ

私は驚いた。

聞けば、あゆみが突然亡くなったことが、

先生にとって、かなりショックだったと。

私には思いもよらないことだった。

毎日のように姿を見ていた子、ではあった。

 

そして、その母親に、何をどう話せばいいのか

わからなかった。だから何も言えなかった

ずっと苦しかった、と打ち明けられた。

 

ダイキに「年中組の先生も、いい先生だったんだよ」

と教えておこうと思った。

 

ダイキが言うには

「テレビに出るくらいにまでなった母親だから

電話できたのかもね?」

確かに。

 

実際は、私は、悲しみのさなかでも

あゆみの話題に触れてくれる人が良かった。

泣きながらでも、話せる時空間が有難かったし、

一回でも多く「あゆみ」の名を口にしたかったのだけれど

ゾウがいても見えないような素振りの人を

多く経験してきたなあ。

 

ただ、その相手の人も、つらくて言葉にできない

という場合があることを、

当時は、あんまりわかっていなかった。