オリンピックはずっと避けて過ごした
2021/07/26あゆみが亡くなってから、きょう、初めてできたこと。
それは、オリンピックの応援。
オリンピックは、私にとって、つらいものだった。
あゆみが倒れたとき、オリンピックが開催されていた。
集中治療室を出て一般病棟に移ったのは
回復の見込みがなくなった(脳死)ということ。
一般病棟では、ベッドのそばにいることができる。
絶望に陥った私は、無表情のまま、半開きの目で
じっとベッドのそばにいたが、
ダンナは、ちょくちょく
患者や面会者が集まる大きなテレビのところに行き
オリンピックを観戦していた。半開きの目で。
どういう感覚なのか?どういう思考なのか!
私は腹が立ち
この人、大嫌い!と思った。
あれから、何回オリンピックがあったかな・・・
オリンピックのたび、私だけ避けて暮らした。
あの感情が蘇るようで。
けれども、きょう、
たまたま、卓球の混合ダブルスを見始めて
最後まで観た。
どんどんテレビの前に近づいている私。
卓球部の部長だったことまで思い出した~
二十歳のみまちゃん、見違えるほど大人になった。
すごい技術と、すごいメンタル。
中国相手では、無理だろうと思っていたが
4-3で、勝った!
日本卓球史上初の金メダル。
いつの間にか、涙出ていた。
最強中国の壁、崩せるか
と言われていたが、みごと崩した水谷・伊藤。
私も、これまで越えられなかった自分の壁を
1つ越えたような気がする。