知らない子より知っている子が強敵

2021/08/21

よその知らない子のことよりも、亡くなっても「わが子」

と昨日書いたが

よくよく考えると

問題は、知らない子よりも、知っている子だった。

 

自分の子は、亡くなった。

身近にいるよその子は、すくすくと育っていく。

 

その子たちの成長を、無条件に、楽しみ慈しむ人を

私は神だと思っている。

 

私は、見たくなかった。

ここで私の宿敵である母が脳裏をかすめたが

母は、近所の小学校の、運動会を観戦するのとか大好き。

私はぜったい行かない。

 

あゆみも、こんなふうに大きくなっていれば

こういうこと、できるんだー

なんて、心地よく思い描くはずがないもの。

 

そんな私を理解できない母との平行線をたどっていると

自分がいやに思えることもあったが

あるとき、私は発見した!

よその子に対し、ウエルカムな人と、私との違い。

 

それは、

よその子が、わが子の友人であること。

つまり相互関係があること。

 

わが子と遊んでくれた

わが子の死を悲しんでくれた

わが子を大切に思ってくれていた

わが子も、その子を大切に思っていた

 

そうなると、私にとっても大切な存在。

ときどき会えると嬉しいし

成長をいつくしむだろう。

 

知っているよその子は強敵のように書いたが

「知っている」のは、私だけが、ということ。

あいにく、あゆみは小さすぎたので

まだ友だちが、いなかった・・

 

昨日も書いたけど、やっぱり

大切か、どうかは、関係性。