「子ども」を亡くすことの幅の広さ

2022/02/08

この活動で、一番心がけていることは

相手のどんな感情も考え方も、否定だけはしない、

と先日書いたが

私たちの活動以上に、難しいなあ、と感じたのが

流産死産という死別の遺族会。

 

私たちの会は、子どもを亡くした親の会で

子どもとは、誕生後の子ども。独立以前の。

流産死産の「子ども」は、お腹の中で亡くなる胎児。

思いがけず亡くなってしまう子もいれば

妊娠中絶という親の選択によって亡くなる子もいる。

 

中絶にも、

望まない妊娠によって選択される場合と

出生前診断で深刻な病気がわかり、選択される場合がある。

この両者のうち、

もともと望まなかった人の意思は固い場合が多いが

望んだ妊娠でありながら、中絶する人は

そのこと自体で苦しんでいる場合が多く

さらには、手術や処置の際に

医療者によって傷つくことがあると言う。

 

心無いことを言われる、とかではなく

ふとした表情や、空気感からかもしれない。

産んであげてほしかった

という思いが、出てしまうからだろうか?

 

私たちの活動では

生きている子どもを、全力で助けようとすることや

親の命に代えてでも、といった強い意識など

前提が、ほぼ格差なく共通している。

そのうえでの病気の違いや、年齢の違いなどで

背景を大きく分けることが、あまりない。

 

当事者活動のなかでも

経緯や、背景や、背負っているものが異なる人を

さらに傷つけるようなことがないように

運営していくことの難しさを

携わっている人たちを見ながら、改めて感じた。