必要なものは本当に必要としたときに出会う

2022/03/08

グリーフケアの講座のことで、来客があった。

お坊さんという、普段あまり接点のないお立場の方だが

グリーフケアに関心をおもちで

造詣も深く

ついつい話し込んだ。

 

ずっと脳裏にあったのは

あゆみのお葬式のときのことや

亡くなったあとに続いた法要やお参りのこと。

私は、ダンナの実家のお坊さんに

随分お世話になった。にもかかわらず

お寺や、仏教への親しみは、ないままだったから。

 

つらい思いを抱えて過ごす者への

思いやりや、いたわりの心に、本当に感謝した。

でも、説法的なことには、ありがた味がなく

申し訳ないと思っていた。

 

きょう会ったお坊さんは

辞めたいと思いながら、従事していた時期があって

そのときに研修を受けに行って、そこで

仏教の深さや真髄を知った。

続けてきてよかった、と話された。

 

それを聞いて私は、

そういうめぐり合わせのようなもの、

私には、なかったのだろうか?

あっても、はねのけてしまう自分だっただろうか?

この問いは、当時も、今もあるので

胸中を打ち明けた。

 

言ってもらった言葉、

よかったと思う。

 

本当に必要とするときに「わかる」と思います。

 

すべてのことに通ずると思った。