思いやりに対して無反応だった頃

2022/03/09

あゆみが亡くなった頃の、お坊さんのお話で

キサーゴータミーという名の母親の話があった。

ゴータミーは、「流行り病」で子どもを亡くしたので

あゆみを亡くした私と同じだと思った。

 

ゴータミーは、この子を生き返らせる方法を

いろんな人に聞いて歩く。

誰もわからないなか、お釈迦様に出会い

こう言われた。

 

「これまで死人を出したことのない家に行き

ケシの実を1粒もらってきたら

あなたの子を生き返らせてあげよう」

 

ゴータミーは、必死で探し回る。

けれども、どの家も、誰かを亡くしていて

死人を出したことのない家は、ついに見つからなかった。

そうして、

亡くなった子を生き返らせる術は、ないことを悟る。

 

お坊さんが、この話をしてくれた意図が

私には、わからなかった。

物語を1つ、ただ教えてくれたのだろうか?

まさか、この話から、私も悟る、とは

思っていなかっただろう。

 

聴き終わった私は、真顔だったと思う。

次に、沈黙が続いたように思う。

 

せっかく自分のために、

時間を割いて、話してくれたのだから

ためになった、といったフィードバックを

しないといけないような気にもなるが、

「はい、わかりました」と言えるものでもなく

反応に、困った。

 

お坊さんは、お茶を飲む。

湯飲みは、もうからになる。

 

月参りのあとの、お坊さんとの対話は

いつも、こんな感じだった。