お母さんは誰よりも考えて苦しんでいる

2022/05/03

一昨年、キャンプ場で行方が分からなくなった

小学1年生の女の子の骨かもしれない

と報じられてから、靴や靴下も発見されたが、

今のところ、

本人のものと鑑定結果が出ていないことから

お母さんは、

美咲ちゃんのものではないことを願っている。

 

お母さんは、あらゆることを考えていると思う。

感情は揺さぶられるだろう。

考えが二転三転することもあるだろう。

そうした葛藤を、逐一、発信できないだろうし

明確に言語化もできないと思う。

 

そうすると、ネットのコメント欄では

人々が、いろいろいろいろ、書いてくれる。

いろいろ思って表現するのは、自由だけれど

これは言わないでほしいな

と思うのは

 

美咲ちゃんの、見つけてほしい思いを

お母さん、拒絶しないであげて

といった書き込み。

 

親が子を拒絶するわけがないこと

想像できないかなあ。

 

できないんだろう。

だから、親の説得にあたりだすんだ。

 

他人が思い描くようなことは

親は、すべて考えているし

親には、感情だけでなく

責任と使命があるから

「そうですね」といかないものがある。

 

先日、小児科学会で

蘇生の中止について議論になったとき

医学的には限界を迎えても

1回の説明で、

「はい、わかりました」

と、ならない親が、たくさんいることを話した。

 

すんなり受け入れた人の中には

あとになって

「私が諦めてしまったから」

と、新たな苦しみが始まる人がいる。

 

親は、わが子に愛情が深いだけでなく

最後の最後まで

子の生命を守るという

重い責任と使命を背負っている。

だから、親というのは

常識や論理だけで取り扱えるものではない。