会話できるということは友人ができるということ

2022/06/19

昨日、唐突に、子どもの声のことを書いたのは

昨日見たテレビの影響だ。

世にも奇妙な物語という番組。

お父さんを亡くした娘さんが、不思議な体験をした。

 

美しい彼女は、夜道で、へんな男に声かけられたりする。

しつこく付いて来たら、撃退法として

バッグからスマホを取り出し

「あ、パパ?」と、父親から着信があったフリをする。

そしたら、大抵の男は退散するが

フリだろ?と、付きまとった男がいた。

ところが

彼女からスマホを取り上げ、耳に当てた途端、

スミマセン!!と、スマホを突っ返して

逃げて行った。

 

え?!?

彼女も耳に当ててみるが

やはり繋がってはいない。

だって、お父さんは、

何年も前に亡くなっているのだもの。

 

このときだけでなく

「パパ」と電話をかけるフリをして、人に替わると

その人は、自分の父と会話ができる。

でも、自分だけできない・・・

 

そうして、ついに

彼女も電話で父と話すことができた。

それは嫁ぐ前日のこと。

「おめでとう、幸せに」という父の声。

話しができたのは、この一回きりだった。

 

この再現ドラマを見て

ジーーーンときた私は

いろいろ思い返した。

 

お子さんがケイタイを持つ年齢だったら

そのまま解約せずに持っていると

届くメールやLINEがあって、お母さんが返信したり

お母さんが友人たちと繋がるようになったり

いいなあ、と思っていたが、でも

子どもが、人とお話ができなければ

こういう交友関係は残らないし、続きようもなく

小さいとなあ・・・

と思った昨日だった。

 

そもそも、の話。