浮いた存在の私の低空飛行はずっと続いた

2022/07/20

あゆみの三回忌のことを思い返して過ごした。

お子さんの三回忌を、ご夫婦だけで行う

ということお聞きして。

同じことを選ばれるかた、いるんだ、と思って。

 

うちも一周忌は、親族をたくさん招いた。

親族のためにもいいのかな、と思い。

ただ、人が集まると感じるのが

温度差のようなものだった。

 

久しぶりに顔を合わせる人と人。

「ご無沙汰してますー」「お変わりなくてー」

といったにこやかな挨拶に始まり

読経までの世間話。

法要のあとのお食事会。

さらに「どうぞ、どうぞ」とビール注ぎながら世間話。

 

みんなが気を遣ってくれている。

あんまりあゆみの話題のほうに行かないように。

気遣われながら、浮いていく私。

だから、泣いたら空気を換えてしまう。

普通に、普通に、と言い聞かせていたら

能面みたいになっていって。

 

そういうことから

法事、するんだったら、両親だけで

と思った。

 

今年は家族で静かに行います

と身内に知らせると、えっ、という感じだったものの

誰も何も言わなかったので、助かった。

 

あとになって思った。

私は、法事じたいが得意でない。

供養のほうも、ぜんぜんで、

ずっと続いていたのが

亡くなったことが受け容れられない

現実を受け止めきれない

ことだった。

 

あれは、いつまで続いていたんだろう・・・

「ここまで」「ここから」みたいな

はっきりとした境目があるわけでなく

さすがに認めざるを得なくなっていくのだけれど、

結局、あゆみの仏壇を買うことはなかった。

 

低空飛行は、いまも続けている気がする。