生きたくないと、死にたいは、近くない

2022/10/04

よその遺族会の代表に会った。

出会いは20年近く前で、親しくしてきたが、

「コロナ」のため、会うのは久しぶり。

 

用があって、頼んだのは別の人だが、

道が分からなくなった、と電話があり、

私が駅まで迎えに行くことにした。

 

え?白い杖をついている。

めったにない難病を発症し、

ほぼ見えなくなっていると聞き、驚いた。

 

用が済んで、帰りも付き添った。

電車のなかで、

「私は75才までと決めている」と言うので、

遺族会の運営のこと?と尋ねると、

首を横に振り、「生きること」。

どうやって決められるのだろう?

と考えていると、

「今、73だから、あと2年」と言うので、

そこまで計画的?

ますます不可思議。

 

なんで?と尋ねた。

風ぼうを人にさらしたくない

というようなことを言うので、

十分に意味を掴みきれないまま、

ともかく

遠出の用事を頼んだのは安易だったのでは?

と思い、

「今日も、断っても良かったと思う」

と言ったら、思いがけない言葉が返ってきた。

 

「頼んでくれて、嬉しかったよ。

自分が必要とされること。」

これからも

頼まれたら行く、と言う。

 

あと2年しか生きないと決めている人が

言う事と思えない。

 

生きたい、と、死にたくない、は

近いと分かりやすいが、

生きたくない、と、死にたい、は

必ずしも近くなく、

とても離れていることがある

と知った。