おばあちゃんを虐めていた私の幼児期

2022/10/21

以前日記に書いたが

あゆみが亡くなって、私に住み着いたものがある。

それは、アクマ。

そもそも女の子のお母さんが羨ましい。

で、その人が、その子を大事にしないようなら

私からアクマが飛び出しそうになる。

このアクマは、

正義というより悪意にも満ちている。

 

そのように書いていたことを、

訂正しないと。

あゆみが亡くなってアクマが住み着いたのではなく

アクマは、もともと私の中にいた。

昨日、おばあちゃんのことを書いて、思い出した。

 

おばあちゃんは、私をとても可愛がってくれた。

教員の母は、ちっとも家にいなくて

私は、ずっとおばあちゃんと一緒にいたが

私は、ひどいアクマだった・・・

 

ガムを買ってくれるのは、おばあちゃん。

(母は、買いたがらない)

買ってもらったガムを、噛んで噛んで、

甘くなくなったら、

おばあちゃんの口に入れる。

 

おばあちゃん、嫌がるが、無理やり入れて、

「噛んで」と言う。

甘くないガムを嚙まされるだけでなく、

ガムが、おばあちゃんの入れ歯にくっつき

困ることを知ってて、するのだ・・・

 

おばあちゃんは、ガムを買いたくなかっただろう。

今ならそう思うのだけど、

買ってくれていた。

そしたら、その目に遭わされる。

 

このいじめのような行動は

子どもの「試し行動」だったと思われる。

なぜするのか?

母がいないから。

おばあちゃんを頼るしかないのだから、

従順にしてればいい、というのは大人の考え。

 

こういうひどい行動を経て、私は

おばあちゃんと絶大な信頼を築いていった。

築きあげたら、もうしない。

アクマは、姿を消したようだった。

 

ところが、あゆみが亡くなって、

アクマは生息していたことに気付く。

長きに亘り、なりを潜めていたのだ。

 

大人になると、人の口にガムを突っ込んだりしないし、

罪に問われるような行動もとらない

が、アクマは今もいて

どうにか、こうにか、共存している。

 

ただ、幼い私に、おばあちゃんが、

何をしても、どんな目にあっても

「大好きやから」

と感じ続けさせてくれたことは

私にとって、かけがえがなく、

太い根っことして、ある気がする。