試練から「のがれる道」ぜったい必要と思う

2023/02/20

遺族には、人からかけられ嫌だった言葉

というのが、いくつかあるが、その中で、

「神は乗り越えられない苦しみは与えられない」

が、よく挙がり、よく話題になる。

 

乗り越えられるとは到底思えない!

と反発を感じることもあれば、

軽く言われているような心無さを感じたり。

 

この言葉、

聖書の言葉だとは聞いていたが

詳しくは知らなかった。

 

で!聖路加国際病院の院長だった日野原重明氏の

著作「生きていくあなたへ」のなかに、

こんな一節があると聞いた。

 

「神は越えられない苦しみは与えられない。そして

そのなかで逃れる道を与えてくださる」

「あなたは今、悲しみの真っ只中にいて、

一生自分は笑うことがないと思っているかもしれません。

でも僕たち人間には、時間がかかっても、必ず

悲しみを乗り越える力が備わっています。」

 

えーーー と私が思ったのは、

最初の2行。

私が耳にしていた聖書の言葉は、前半で

まだ続きがあったのか!

 

調べてみたら、

新約聖書の、コリントへの第一の手紙の

10章13節 に書いてある。

 

神は真実である。

あなたがたを耐えられないような試練に

合わせることはないばかりか、

試練と同時に、それに耐えられるように

のがれる道もそなえてくださるのである。

 

へーーー そうだったの。

何だか、神様、やさしく思える。

 

あゆみが亡くなったとき、

神様、冷たいと思ったし、

その後の道ゆきは、過酷なばかりに思えたが、

耐えられない私は、

のがれ、のがれ、来たように思える。

 

その道が、与えられた道だったとは

ぜんぜん気づかなかったけど。

 

これからは、さらに、もっと、

逃げ上手になろう!と思った。