謝ってほしいんじゃなくて分かってほしい時

2023/03/06

昨日の続き。

医療者から謝ってもらって

思いやりを感じた話は、たくさんある。

 

少しの行き違いや、説明の不足で

不安になりかけたとき、などもそうだが、

今回話したのは、

まったく落ち度はないのだけれど

(お母さんを不安にさせて)「ごめんなさい」

だった。

 

口の中に、ガーゼを入れておいたのは

小さな傷を見つけたからで

母は、それを、置き忘れだと思い、

意識がない子だから雑にされた

と思いこんでしまうが、

看護師は、弁解などせず

「お母さんに心配かけてしまって」

と謝ってくれる。

患者も、家族も、思いやりに包まれた経験だった。

 

この看護師は、本当の思いやりと

謙虚さがある人だったから

「ごめんなさい」から信頼関係が始まっていくが、

本当の思いやりがないまま、謝られると、

さらにつらいところに追いやられる。

 

たとえば、極端な表現になるが、

患者家族側が、不満に思うことが起きて、

早々に「すみません」と言われたら、

まだちゃんと言ってないのに、と思う。

 

だから、ちゃんと言おうとしたら

「だから謝ってるじゃないですか」

と言われないまでも、そういう空気になり

ちゃんと言う機会が与えられないまま

この場を終えなければならなくなる。

 

取り残されて、ひとり思う。

謝ってほしかったわけじゃない。

分かってほしかった・・・

 

多くの場合、

責任とれ!とか

どうにかしろ!とかじゃない。

 

ちゃんと言えて、ちゃんと聞いてくれて

わかってもらえて

嬉しい。

 

だから、

入り口のところで、

「スミマセン」で閉じないでほしいな

という話、

わかりにくいかもしれないけれど、

伝わる人には伝わるかな

と思って、話した。