「何も言えなくなりますね」と返ってくる

2023/09/29

最近の私が、特に医療従事者の皆さんに

つとめて伝えるようにしていることは

グリーフの個別性。

 

私たちのような遺族会に参加しないご遺族も

医療のお世話にはなり、

そこで患者や家族がよくしてもらって

死別後をいくぶん生きやすくしてもらえたら

言うことはないから。

 

ところが、重症患者や家族への接し方や

看取り前後の接し方は、

良し悪しの感じ方の、個人差がとても大きい。

だからできるだけ多くの体験者の声をもとに

ケアの個別性を伝達するよう努めている。

 

体験者に対しては

「あなたにとって何がどう良かったか、

何がどう嫌だったか、どうすれば良かったと思うか、

医療体験をありのまま教えてほしい」

とお願いし、聴き続けてきて

本当に個人差は大きく、

ご本人に聴かなければ、わからないことばかりで、

自分の思いこみに気づき

詳細に教えてくださることに感謝し

聴き入り、話し込み、、、

それが私にとっては生活の中心にある。

 

知れば知るほど関心は深まり、

おそらく、この先も、

そうした気持ちが薄れることはない。

 

ところが、

つい最近も、この言葉にちょっと萎えた。

「もう、何も言えないです・・・」

 

そう言わせるために伝達するのではない。

人の深い悲しみを前にしたとき

言葉が出ないことはある。

黙ったままになることがある。

無理に言葉にする時でもない。

 

それでも、そのままいてくれるか、

だと思う。

 

「何も言えないですね」と言う人は、

何か言って、どうにかしたい、と思っている。

言えること、できること、がなければ

その場にいられなくなるのだろう。

 

力が及ばない自覚って、とても大事。

役に立てない(つまり活躍できない)

そうした無力さから生まれてくる

人間のたおやかさには

尊ささえ感じる。

 

専門職者が、専門性を奪い取られるかのように

足元を揺さぶられるとき

そのときこそ

逃げないでほしい。