学校に行くより大事に思えたこと

2024/01/12

昨日書いた女性のこと

個人が特定されることはないと思うので、

もう1つ思うこと。

 

一番上の子どもが不登校だった。

自分が生きているうちに、学校に行けるように

なってほしい、というのは

本当に願うことだったと思うが

彼女は、この「不登校」に感謝しているような

一見矛盾していることを言っていた。

 

「学校に行こうかな」

と言ってくれたら、校門まで一緒に行く

そのための体力が

命を引き伸ばしてくれていると。

つまり

すんなり毎日学校に行くようになると

死期を早めてしまうかのように。

 

でも、確実に死は迫っており、

私は彼女の求めに応じるかたちで

この子と二人で会ったことがある。

 

不登校に、明確な原因はなかった。

多くの場合がそうであるように。

やんわり聞いてみた。

お母さんの病気の説明、聞いてるよね?

理解できる?

 

できなかった・・・

 

返ってきた言葉は

「お母さんは、死なない。絶対に」

 

きょうはやめておこう。

もっと考えて、出直そう。

そう考えているうちに

母親は亡くなった。

 

あれから何年間も考えて

色んなこと考えて

あの子は、

自立に迫られる時は、否応なく来るのだけど

あの時はあれで良かったのかなあ。

 

みんなのように学校に行くこと以上に

母親がこの世で一番の理解者であること。

どんな時も

どんな自分も

絶大な愛で包みこんでくれたことに

揺るぎのない確信が持てたことは

彼のような子どもにとって

とても大事なことであり

生涯の礎になるように思えてきた。