つらいことでも思い出せると嬉しい
2024/11/03きょうも講座の準備をしていて
私自身も、あのときのこと、思い出した。
脳死を迎えてからは
医師も看護師も、ほとんど来なくなった。
医師は、1日1回はのぞいてくれるが
ちょっと来るだけ。
看護師は、何回も来てくれるが
いくつかの作業を一通りこなすと
出て行ってしまう。
不用意なことを話題にしたりして
悲しみを深めてはいけない
と敬遠されているような気がした。
仕方ない。
きっと傷つきやすいのだから。
そうして最期のときを迎え
涙は出ていたが、私は落ち着いていた。
そのように心がけていた。
手間取らせないよう、迷惑かけないよう。
だから最後まで
病室を出入りする医療スタッフが
とても少なくて、淋しくても
仕方ないと思っていた。
ところが、
このあと霊安室に行く。
当時はお決まりのルートだったのだろう。
部屋に入るとき、足がすくんだ。
祭壇のような台があり
線香を焚いてきた形跡があって
ここはなに??
と思っているうちに、あゆみも台の上に。
えーーー、これはいらない
と思っていると、
次々と白衣を来た人たちが入ってきた。
知らない看護師さんもいて
皆さん線香を立てて、手を合わせてくれる。
私はお辞儀をする。
御礼の気持ちで下げるはずの頭の中は
どう考えたらいいのか、渦巻いた。
忙しい診療の合間を見て集まってくださり
これは手厚いことなのだ。
この病院の誠意なのだ。
なのに受け入れ難い・・・
手厚く、誠意を示すことが
相手をなぐさめることから
程遠くなってしまうことがある。
今考えても、難しいと思う。
そして、今になっても、今からでも、
思い出せるあゆみのことがあると
それは辛いことであっても、嬉しい。
仲間と交流する中でしか得られない。