一番つらいと主張できなくなる時

2025/06/03

子を亡くした親は

誰より辛い立場として

擁護されるといい存在だろうか?

 

私も含め、当事者の多くが

「子どもを亡くすほど辛いことはない」

と言っている。

無条件に擁護されるくらいの理解が

周囲にあれば、と願う。

 

でも、いくら辛いからといって

見境なく人に当たったり

悲しみから怒りを巻き起こして

人を傷付けたりしていいはずがない。

 

実際、そのようなこと

ほとんどの親は、していない。

じっと、ぐっと耐えているか、

周囲の優しさに感謝しながら

慎ましく暮らしている。

 

では、一昨日書いた

息子を亡くした母親が

息子の嫁をひどく責める

というのは、どうだろう。

 

この場合、

もっとも辛い人は、1人ではない。

3人。

母親、父親、お嫁さん。

 

最愛の夫を亡くす妻の苦しさも

筆舌に尽くしがたいものだろう。

 

私には経験がないから言い切れないが

親から独立し

大切な人と生きていくことになったわが子が

亡くなったとき、母親は、

一番辛いのは私だ!といった行動

取らないほうがいいように思う。

 

1番は、3人いるから。

いや、子どもの子もいる。

 

だから「小さないのち」は、

独立以前の子どもの親、に限った。

 

ここでは誰に遠慮もなく

言いたいように言い

嘆きたいように嘆けるように。