家族の幸せは家族ごとにあるもの

2025/09/16

末期がんの若い母親が、占い師から

「あなたは死なない」と断言されて、

余命は変わらなかったことを

彼女の気持ちを考えていたたまれない

と昨日は書いたが、

実際はどうだったのか本当のところは

本人に聞いていないからわからない。

と、また揺れた。

 

私が出会うお母さんは、逆の立場だが

子どもの病気についてや、余命を

正確に知らされていなかったことで

思いがけず別れに直面したとき

「こんなことになるとは!」

と担当医に憤ったり

過ごし方を悔やんだり

ということが、ある。

 

他方では、そこに価値を見出すことも

ある。

さいごまで普通の(に近い)暮らしを

満喫できたこと、

子どもが子どもらしく過ごせたことは

よかった、と感じられて。

 

学校での過ごし方や、遊び方など

思い出が豊富に多様にあることで。

 

私がひっかかっていた

ママは治った!と思い込んだ幼い子は

現実をどう受け止められるだろう

という点についても

彼女は、子どもをだますようなことに

加担していなかったのかもしれない。

 

私が自宅を訪ねた当時には

家の中が整理されていた。

引き出しに中身を書き

大事なことを書いたノートを作り

ご主人と子ども達が困らないように

準備していた。

 

病気ではない普通のママと、

普通に過ごすことのほうが

良かったのかもしれない。

 

家族の幸せは

家族ごとにあるから、

という気持ちも持ち上がってきた。