被害者にとっての目に見えない加害者

2025/09/18

ダンナのほうが弱っていった背景を

内に向くか、外に向くかの違い

と昨日書いたが、思えば、

あの頃ダンナが言ってたことは

病気(感染症)に罹らせてしまったこと

に始まり、

そういう体質に生まれてしまったこと

ばかりだったように思う。

 

体質のことを言うならば、むしろ、

そう産んでしまった、と、

母親のほうが自分を責めるはず

のところが、私はそうではなく

責める対象は、病気だった。

 

すべては病気が引き起こしたこと。

あゆみと私たちは、病気の被害者、

という考えだった。

 

なんでダンナが自分のせいのように

自責するのか、よく分からずにいたが

分かってきたことがあった。

 

通常、「被害」と言うなら

加害者が存在する。

私たちには、目に見える加害者が

いなかったからではないだろうか。

 

それでも目に見えない加害者はいた。

が、それさえも消えてなくなってしまった。

ウイルスは、あゆみを襲ってすぐに。

 

だから怒りの矛先を見出だせないまま

自分を責めるしかなかったのだろう。

同じ親でも、考えることほそれそれ。

 

「父さんは悪くないよ」とか

「父さんのせいじゃない」と言っても

あまり意味はなく、我が家では

支え合って生きたというより

それぞれに生きてきたかんじ。