苦しんだまま送りたくない思い

2026/08/14

お子さん亡くされたお母さんに

講演をしていただくための原稿を

一緒に作っていて、

やっぱり!と思った。

お子さんは長い闘病を経て亡くなっている。

 

病院では治療に手を尽くし、

家でもお母さんは看病に徹し、

生命の危機を何度も乗り越えてきた。

医師から、今苦しさはないことを知らされ

それでも親には執着のようなものが…?

と思って聞いていたところで

もう「あきらめた、というか」

という言葉に、え?と思った。

言葉の選択、違ってる?

 

違っていなかった。

 

お母さんは、諦めたのではなかった。

「諦めた」だと断念すること。

お母さんが言ったのは「明らむ」のこと。

明らかにして見ること。

 

続けて語られた言葉に、私も明らかになった。

「苦しんでいないことに、安心できた

というか、

苦しみながら死なせるのは、いやだから」

 

そうなんだなあ。

苦しみながら生きさせるのは、つらい。

このことは、はっきりしている。

 

一方で、

苦しみながら死なせるのも、つらいのだ。

 

よく耳にする「安らかな最期」というのは

一つの言葉のようになっているが

ただの言葉ではなく

とても大事なことなのだと

改めて思った。