護れなかった子に救われるのはつらい

2024/08/10

子どもを亡くした人は、その後も、

「大変なこと」が、なかなか人ごとにならない

みたいに昨日は書いたが、

自分の身に起きる「大変なこと」と

亡くなった子どもを

結びつけない人も、いる。

 

でも、「大変なこと」が起きたとき

亡くなった子と関連付ける人は、

多いように思う。

 

見守ってくれた、とか

力を貸してくれた、という感覚で。

 

あのご両親は違ったなあ。

高速道路で、車が一回転して、壁に激突し

車は大破したけれど

運転していたお父さん、助手席のお母さん

後ろの座席の弟くん、全員、無傷だった。

 

この話を聞いたとき

私は、亡くなったお兄ちゃんが

家族を護ってくれたんだ!と思った。

 

でも、ご両親とも、

「頑丈な車に乗ってて、よかった」

と思われていた。

だから同じ車種に乗り換えていた。

 

このとき私は、

え~!という顔をしてはいけない

と思った。

 

亡くなった子が護ってくれた、と思う人は

その子が、いつも見てくれている、とか

そばに一緒にいる、と思えて

それはそれで嬉しいと思う。

 

でも、護られようとは思っていない親もいる。

護られるべきは、子どものほうで、

護り切れなかったことで苦しんでいて

なおかつ、その子に命を救われた、となると

もう身の置き所をなくすほどつらくなる

かもしれない。

 

目に見えないことの

思い描き方は自由であり

他人が入り込んでいくところではない

と思っておかないと。