同じ立場でも亡くした経緯はいろいろ

2024/11/02

「小さないのち」がしている講座の準備で

話し合っていると、

お子さんを亡くし、いま同じ立場であっても

経緯はいろいろだったことが、よくわかる。

 

闘病があった子、なかった子、

生まれながらの病気だった子、あとでなった子。

 

回復は難しいと、医師から宣告されて、

なんとか、どうにか、と願う人がいて

無理なことは、もうしない、と考える人もいて。

 

それでも、どの親も思っていたことは

子どもに苦痛を感じさせたくなかった。

それだけは一致している。

 

最期のとき

涙も出なかった

という人も、けっこういる。

 

私は、一番最後は、涙が出たが

脳死になっていると知らされた日は、

脱力し、子どものベッドの横に倒れ込み

朝まで爆睡した~

有り得ないと自分でも思ったが

そんなこと、しでかしている。

 

狂ったように、泣いて叫んでいた人もいた。

まだ心臓は動いているけれど

告別式のこと考えて、遺影を選んだ人もいた。

 

で、実際に別れを迎えたあと

日を追うごとに

深い悲しみに沈んでいった

ということが、ほぼ全員に共通している。

 

途中、元気そうに見えていた人

冷静に受け答えしていた人も

あれは、自身を奮い立たせていたのかな?

現実のことと理解が及んでいなかったのかな?

現実のことと理解し、拒絶していたのかな?

いずれにしても

のちに、みんな、悲しみに沈んだ。

 

大変なことが起きているとき、

人は外見だけでは分からない。

少し会話したくらいではわからない。

おそらく本人もよく分かっていない。

 

だから難しい。

そばにいる人にとって

どんな手の差し伸べ方がいいのか

とてもわかりにくいから。