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2004/07/20
失うと一番「困る」もの
子どもを失ったことで、さらに失うものってどれくらいあるのだろう…。 子どもの死後、遺族の多くに喪失の連鎖が起こっているのを感じます。二次的な痛手から遺族が守られるようにと、各方面へお願いしています。 私の場合、 あゆみの次に失ったものは、人間関係でした。 ご近所や友人とのお…
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2004/07/10
やさしい悲しいことば
人の言葉がこわい と、日の浅いご遺族はおびえるように暮らされますが、だいたいが私もかけられたことのある言葉なので、うなづけます。 意地悪な言葉ではなく、たいていは善意の励ましや慰めのなかに不意に出てくるものなので、遺族はどんな言葉にも傷つくのだ とみなされそうですが、主に、比…
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2004/06/30
病室のベッドで綴ったメッセージ文
昨年入院中に、インフルエンザ脳症研究班と【小さないのち】合同で発表する公開講座が行われ、そのとき病院から送ったメッセージ文が出てきました。 出席します と約束していたことなので、何としても!と願ったのですが、抗がん剤の副作用のため外出が許可されず断念… 班長の森島恒雄氏か…
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2004/06/20
子どもの脳死移植
現在日本では、15歳未満の子どもの脳死移植ができないことについて議論が繰り返されています。 あゆみが脳死状態だったとき、夫に不意にこんなことを言ったことがあります。 「もしも脳死移植ができるなら、あゆみちゃんの心臓だけどこかの子の体の中で生きつづけることができるのにね」。 …
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2004/06/01
七回忌法要で「命」考える
娘を亡くしてしばらくの頃、出席していた分かち合いの席で、七回忌の話をされているご遺族を見つめながら、自分にもそんなときが来るのだろうか… とありえないことのように想ったものでした。けれども私にも同じように歳月は流れました。 お坊さんは読経のあと、こんな話をされました。(あい…
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2004/05/08
「大阪生と死を考える会」で
5月8日、お話しの場をいただきました。 ここは「小さないのち」の母校のようなところです。 一人でいい 同じように子どもを亡くし、深い悲しみに落ち 苦しみ、悩みながら暮らしている人と出会いたい 支え合って、その人といっしょに立ち上がっていきたい きっと出会えると信じ、…
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2004/04/29
花を見ても なにを見ても
「つどい」会場へはももちゃんのおかあさんと一緒に行きました。 テーブルに飾るお花を買うために、途中でお花屋さんに寄って、 店先でこんな会話を。 『私ね、お花を買うときいつも思うの。 このバケツに入ってる花は、どれも同じようにみずみずしいよね。 たぶん同じ日に…
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2004/04/23
6年かけて考えたこと
あゆみという名は、 命のかぎり前を向いて歩みつづけてくれることを願ってつけたなまえでした。 それなのに、どうしてこの子が1年だけしか生きることができなかったのか ずっと私はそればかり考えていました。 何年もかかって、少しだけわかったことは、 命は消えても、この子の「いのち」は消…