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2024/03/21
「え、もう29年」と思った瞬間に感じたこと
オウム真理教が引き起こした 地下鉄サリン事件から29年が過ぎた。 この犯罪によって13人の命が奪われた。 地下鉄職員のご主人を亡くされた高橋シズヱさんは ずっと取材に応じてこられたが、77才になられた。 当時は40代だったのだなあ…
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2024/03/20
「どんな言葉でなぐさめられるよりも」
その後に出会う、 お子さんを亡くされたお母さんたちから このことを聞くたび 私は心を揺さぶられる。 「どんな言葉でなぐさめられるより 黙って抱きしめてくれたことが良かった」 あー、そうなんだ・・・ …
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2024/03/19
その後一度も言ったことのない言葉
あゆみを亡くして間もない頃に戻って、 優しくしたくて仕方ない隣の奥さんと、 勘弁してほしくて仕方ない私が 隣り合わせで暮しているのだから もう一歩も外に出ないようにするしかない。 何日か過ぎて 生ゴミの日、玄関から顔を覗かせ…
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2024/03/18
「思いやりとは何か」の結論が出た頃
あゆみと暮らした家の、隣の奥さんには 色々とお世話になっていた。 あゆみに母乳を飲ませていた頃、 私は風邪をひき 受診ができず、薬はなく、 どんどんこじらせていったとき いい開業医の先生の所へ連れて行ってくれ、 待合室であゆみを抱いて待っ…
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2024/03/17
感情は固めておかなければ身が持たなかった
あゆみと暮らした家は 大阪市内でも昔ながらの慣習を残しており お葬式となると 町内会の女性たちが集まって手伝いが始まる。 手伝いといっても特に用事はなかったが、 うちの台所で煮炊きが始まった。 出来た食事は私達に勧められるが…
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2024/03/16
どこへ行ってしまったんだろうと思って過ごした
病院であゆみを見送ったあと いきなり葬儀社の車に乗せられて、 いきなり身近な人たちのなかに戻っていく。 しんどかったなあ。ずっと。 私は、息も絶え絶え憔悴しきっている と思われていたようだ。 実際は、一昨…
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2024/03/15
もうしがみついてはいけない気がして
あゆみのさいごの時 私は冷たかったんじゃないか? と振り返ってみたが 私はあゆみに冷たくはないはずだ。 だって今も毎日多くの時間、想い、 ずっと想い続けているもの。 じゃあ、あの時は なぜあんな感じだったんだろ。 …
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2024/03/14
つらい親同士でも異なる点がある
お子さん亡くされたお母さんと話していて 大きな個人差について感じた。 これを機会に 自分のしまい込んでいた記憶も 掘り起こしてみた。 日々、お子さんを亡くした方と出会うなか お子さんがいなくなった暮らしは、皆同様につらい …
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2024/03/13
子どもや孫の話がない居心地いい教室
月に1回行く教室で ←習うのは絵 いつも一緒に習っていた方が 辞められた。お別れもできず・・・ ご自宅でこけて、病院に運ばれた と聞いていたが こけて、頭を打って、ずっと倒れていたところ 誰かに発見されて 救急車で病院…
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2024/03/12
ダンナがとってもミジメに見えた日
遠くに住む会員さんから 「日記は読んでいます」と知らせてもらい 気持ちがすごく上がった。 励みに、毎日書きます! 毎日書くと、書くこと思いつかない日があり 知っている人のことは、詳しく書けないし 人を傷付けるようなことも、書…