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2009/08/08
小学生はみんな神様の子なんだあ
乳幼児のお葬式は、「あげないもの」とされてきた。 という話を、葬儀業の方から聞き、驚いた。 ということを前回、書いた。 「あげない」理由を、感情面だけ、前回想像を巡らせたが、 すぐ後で思いついた。 江戸時代の人は、「七歳までは神の子」と言っていた。 神様の子どもなので、神様が子…
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2009/08/06
するか、しないか、考えたこともなかったこと。
死という、人間のもつ影の部分は できるだけ伏せられてきたように感じるが、 「おくりびと」という映画が大ヒットしたことから考えると、 人のかかわりから生まれる、嬉しいことにも、悲しいことにも、 目が向けられるようになってきたことを、感じる。 昨日は、葬儀業さんの組合のようなところ…
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2009/08/02
「私も」が与える、安心感と違和感(と頓珍漢)
セルフヘルプグループの運営に関する講演会に行った。 特に発言するつもりはなかったのだけれど、 司会者に促され、少しだけ発言した。自己紹介もした。 終了したとき、ボランティアとして会場を手伝っていた女性から 声をかけられた。 開口一番、言われた言葉が、「私もね」だった。 ワタシに…
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2009/08/01
約束を守る。できることを続ける。
年に1度京都大学の大学院で話をするようになり、4年目を迎えた。 今年も、この日、じっくり思い返した。 この大学に行くようになったのは、あるご夫婦とのご縁からだった。 もう7年前になるが、 厚生労働省の研究班の、外部評価委員をしていた。 患者会として研究に協力し、ときどき、東京で…
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2009/07/22
ダウンしたなりい〜
ずっと休みがなかったまま、3連休を迎えた。 普通はここで休息するのだろうけれど、私は休日こそが、過密。 連休1日目は、ふらふらと約束を終え、 連休2日目は、午前に事故遺族の「つどい」で、午後は病死遺族の「つどい」。 私はつどいが大すきだから、自分がどれくらいくたばっているのかな…
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2009/07/16
脳死は、ほんとうに死んでいると言えるだろうか。
「脳死は人の死である」と、定義されました。 15歳未満の子どもに、国内で脳死移植の道が開かれることが どうしても差し迫った問題であるこということは、理解できますが、 人間の死の定義が、これほど性急に変化し、決定されていく流れに 立ち尽くしています。 毎週私は、突然のアクシデント…
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2009/07/14
引っかかった2つ目「乗り越える」
2つ目は、「乗り越える」のところですよね! って、メールくださった皆様、ありがとうございました。 アタリでございます。 前回の、つづきです。 子どもを失うことは、ほんとうに大変なことだろう。 というところまでは、 大抵の人が想像を働かせ、理解を示してくださいますが、 ところがそ…
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2009/07/10
2つ引っかかった1つ目「不幸について」
また「引っかかった」話だけど、 他人の言葉に、引っかかってばかりいるようじゃあ、 私のほうに、問題ありかな、と思い、 内省してみたところ、あることに気づく。 近頃の私が、相手の言葉に引っかかってしまうのは、 その人が、職業上、 困っている人や、弱っている人に、かかわる立場の人な…
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2009/07/06
そしたら私は、五体満足だと言えるだろうか。
先日、講演を頼まれた学校の先生から、お礼状が届き、 学年だよりが同封されていた。 そこに書いてある言葉に、私はちょっとだけ、引っかかった。 「五体満足に生まれたことだけで、もう私たちは幸せなのです」 五体って、何だろう?と考えたことがある。 頭、胴、両手、両足に分けたら、四体だ…
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2009/07/03
ぬか喜びとは、このこった。
先日、思いがけない朗報が舞い込んだ。 あゆみちゃん人形を作って差し上げましょう。という 知人を介しての、人形作家さんからのお申し出だった。 私は、舞い上がるほど喜んだ。 ところが、、、 見本を見て、息をのんだ。 動物が服を着ている人形なのだ。 人形じたい、とても可愛い。 でも、…