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2022/03/10
必ず来て話を聴いてくれる人だった
ダンナの実家のお坊さんは 実家近くのお寺から、わざわざ来てくれていた。 さらに お経を有り難いと思っていない私の 嘆きの聞き役になってくれていることが、ほとんどで たまに話してくれるのが、ゴーダミーのような話。 …
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2022/03/09
思いやりに対して無反応だった頃
あゆみが亡くなった頃の、お坊さんのお話で キサーゴータミーという名の母親の話があった。 ゴータミーは、「流行り病」で子どもを亡くしたので あゆみを亡くした私と同じだと思った。 ゴータミーは、この子を生き返らせる方法を いろんな人に…
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2022/03/08
必要なものは本当に必要としたときに出会う
グリーフケアの講座のことで、来客があった。 お坊さんという、普段あまり接点のないお立場の方だが グリーフケアに関心をおもちで 造詣も深く ついつい話し込んだ。 ずっと脳裏にあったのは あゆみのお葬式のときのことや 亡く…
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2022/03/07
死ぬことはつらい助かることもつらい
昨日、野麦峠に滑りに行った、帰り道 高速道路を走っていたら 電光掲示板に、赤い大きい文字で 新名神が「通行止」と表示された。 私が帰る名神は、大丈夫だったのだけど 一緒に行っていた、兵庫の北のほうの人たち、大変。 中国道が、…
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2022/03/06
他人のひと言で開眼するなんてこと
一人の近所のおばさんから 私が貰って嬉しかった言葉は 「つらいね、わかるよ」 だった、と書いたが、 同じように子どもを亡くした母親が 貰って嬉しかったという言葉に 絶句したことがあった。 「下の子まで失ってしまうよ」 …
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2022/03/05
ひと言では足りない気がするから?
また続きなのだけど、 「わかるよ」 という言葉が拒絶される場合があるのは、 子どもを亡くした親に限ったことでなく 最愛の人を亡くした人からも耳にする。 言葉が、というより、気持ちや理解が 浅かったり安易だったりしたら そう…
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2022/03/04
子どもを病気で亡くしたと言えなかった
昨日書いた、近所の家の息子さんは 壮絶な自死をされている。 私は、まだ子どもだったが 近所の人同士が話しているのを、耳にして 知ってよかったのだろうか? いけなかったのだろうか? 判断できなかった。 おばさん自身の真意…
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2022/03/03
子どもと生きた家で全うする
子どもの頃から知っている 近所のおばさんが、亡くなっていたことを きょう知った。 高齢で、よく入退院されていたので また入院と思っていた。 私が子どもの頃は、4人家族だったが 息子さんが亡くなられてから ほとんどお付き…
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2022/03/02
変化はするが回復はしないつらさ
つらさの「変化」のつづき。 このつらさ 回復はしない、と言われている。 回復とは、元の状態に戻ることだから。 でも、「適応」していくと言われている。 では、適応の目安はなにか? よく言われるのは それほど苦痛なく振り返…
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2022/03/01
変化するが消えることはない「真実」
先月日記に書いたことで ちょっと気になっていることがある。 それは、2/15に書いた 「事実」は不動だが「真実」は変化する。 例えば、病気で亡くなったお子さんの親御さんは 病気だから仕方ない なんて思うことは、まずない。 …