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2014/04/16
命にじかに触れたようなもの
「おかあさんの呼吸がおかしい」 とダンナから携帯に電話があったとき 私はまだ父の病院を離れられず、 そのとき直感した。今晩が危ない、と。 直感というのは、いかにも、テレパシーかのように感じるが まったくそんなものではなく そのすぐ後、息を引き取ったという連絡があった。 タクシー…
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2014/04/16
父の知らない母の死
母は、最期まで家で過ごすことを希望していた。 父と私は、その希望をかなえるべく とりわけ父は、それはもう、全身全霊で 母の介護にあたってきた。 なのに、これは一体、どういうことだろう。 私は、いつもなら、ちょっと出かけるくらいのことは 黙ってさっと出かけるのに、なぜかあの日は、…
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2014/03/22
いのちを燃やしながら生きる とは
人の命って、つくづく、頑強なものだなあと思う。 母は、10月に、「あと1か月」と言われたにもかかわらず 何度も持ち直しながら 秋は深まり、冬を迎え、年を越して、冬を越し 「それってあれば奇跡だよ」と言われたことのある 桜の花を見る という願いが実現するかもしれない。 ただし母自…
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2014/02/13
覚えていてくれるだけで
母が最初にわからなくなったのは、父のことだった。 つまり夫。 私のことは、ずっとわかっていたはずなのに、 顔を見て、深々とお辞儀をしたり 「ご結婚は?」と尋ねてきたりするようになり 「してるよー」と答えると 「あら、そう、お子さんは?」と尋ねてくる。 このとき私は考えた。 これ…
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2014/01/24
何を言ってもおもしろい
母が認知症ということを、まだ知らない他人と 会話がうまく成り立つ様子は 同窓会のときにもあったらしい。 母が楽しみにしていた同窓会の日 私はどうしても仕事を休むことができず ヘルパーさんに、タクシーで連れて行っていただくようお願いした。 母が不安になるので、お食事…
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2014/01/16
いっしょに住んでいた男のひと
父の入院は継続中で、 このことについて、母はどう認識しているのか というか、父をどのように認識しているのかが 夫の報告から明らかになった。 夫の報告は、「どうも向かいの奥さんは、知らんみたいやな」 から始まった。母の認知症ことを。 昨日、私は、「ごめん 急いでるねん 洗濯物干し…
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2014/01/12
父までも
暮れから、父がかぜをこじらせ さらに肺炎をこじらせ 持病の心臓病が悪化し きょう救急から入院になってしまった。 しかも集中治療室に。 母の介護疲れもあったのだろう。 母の介護は私一人になってしまった。 しかも、父の病院から 付き添いを求められてしまった。 高齢者の入院では、環境…
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2013/12/25
母が元気だったころー2
兄が、母を連れて行った元勤務地の小学校で もらってきた創立50周年記念DVDを見てみると 母の活躍ぶりが垣間見られた。 年代を見ると、私の誕生前後。 詳しいことはわからないが、 「難聴学級」という耳の不自由な児童を受け入れる特別なクラスを おそらく西宮市で初めて母は担任していた。…
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2013/11/20
母が元気だった頃
私は、学校というところが なんとなくにがてで その理由を1つに絞るとしたら 規則が多いこと かもしれない。 昔から、突飛なことを思いついては提案する自分は 許可が下りない という経験を多くした。 先日兄が、母を、かつて勤務したところに連れて行きたい と言い出した。 西宮市立香露…
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2013/11/04
夢で会っていることがわかった
ずっと和室で布団に寝ていた生活から 洋間でベッドに寝ることになり 夜中にトイレに起きるようになったのは そのせいだと思う。 面倒で不満に思っていたところが 昨日、いいことがあった! 夜中に、トイレで目が覚めたとき 見ていた夢を、鮮明に覚えていた。 あゆみを抱いていた。 まだ小さ…