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2012/05/02
いまだこだわっていた私
まず最初に、ダンナ退院しました! ご心配いただきありがとうございました。 きょうは、わが家の年中行事である姑の誕生会だった。 御年89歳! しかも一人暮らし。 出会った時は60歳代だったのだと思うと 長い付き合いなのに、いまだに緊張する。 私は少し遅れて行ったので、おそるおそる…
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2012/04/12
旦那の入院、続行中
いつ入院するのか、いつ手術なのか、さえ 把握できていなかったヨメであったが、 一応、毎日面会に通っている。 最長60分、最短5分ではあるものの。 ここだけの話 何でこの人と、結婚したんだろ? って思うことが、たびたびあった。 その最たる理由は 会話が一方通行。 聞いてるんだか、…
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2012/04/07
旦那、入院ちゅう
入院することも、手術することも、聞いていたが いつなのかは、記憶にとどめていなかった! そんな具合なので 自分で身の回りの物を、揃え始め 「明日、朝、送ってもらえるのかなあ・・?」 と聞かれたとき、 「えっ、何時?もしかして早朝とか!」 と返したことが、合図となったのか、 翌朝…
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2012/03/30
たくましい母
約束の時間があって、知らない駅で乗り換えをするとき、 とても緊張する。 反対方向の電車に乗ってしまったり、 琵琶湖の「あっち側」へ行ってしまい、 「こっち側」へ戻ろうにも、電車の本数がなかったりしたことがあるから。 とにかく、京都より東への在来線は、むずかしい。 列車の前半分は…
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2012/03/04
久しぶりの結婚披露宴
同級生の披露宴に招かれた。 元の同級生たちは、もう孫ができた、肩が上がらない などと会話になる人々だけれど 40才を越えて、また進学した私には 20才ちがいの同級生がいる。 自分の結婚式からも、20年。 披露宴の流れは、あまり変化していないように思った。 当時のウエディングケー…
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2012/02/28
命日に、墓前で思う
子どもを亡くす、といった 思いがけなく、受け容れがたい事態に遭遇した夫婦のその後は その子の両親である自分達しか、知り得ない感情を共有することにより 夫婦の絆を、より強めることもあれば 自分達しか知り得ないはずの感情を、共有しきれないがために 破綻に追い込まれていくことも、ある…
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2012/02/17
16年ぶりのスキー!
あゆみが亡くなって、ダンナは変った。 以前は、「よくできること」が好きな人だったと思う。 特にスポーツで。 あゆみは、インフルエンザで脳を冒されて亡くなった。 もし命を取り留めても、「親の顔が分るかどうか・・」 と、それほど重い後遺症を主治医から告げられていた。 亡くなってから…
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2012/02/11
あゆみと同い年の子たち
いのちの授業、今も、依頼があれば出向く。 きょうは、かなりのどかな地方まで足を伸ばした。 以前行った中学校の先生が、何年かぶりに、再び招いてくださった。 私の話が心に残ったと言ってくださり、嬉しかった。 会場となるホールに踏み入れたとき あれ?いすがない・・ 土足の床なのに。 …
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2012/01/21
積水ハウス
用事をしていても、「ラララー ラララララー」 が聞えたら、さっとテレビの前に行く。 赤いスカートに、赤い長ぐつをはいた女の子が お兄ちゃんと手をつなぎ、スローモーションで走って行く後ろ姿。 足下が、まだおぼつかないので 2歳半くらいだろうか・・・ 見れば必ず涙が込み上げるのに …
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2012/01/15
目に見えないことを信じるようになって
私自身は、あゆみが、どこにいて、何を考え、何をしているのか さっぱりわからないのだけれど ある日、あゆみのことが「わかる」人が、いることがわかり、 以来、年に数回程度、あゆみのことを教えてもらえるようになった。 昨日、ファックスが届いた。 あゆみからだった。 正確には、あゆみか…